2011年10月9日日曜日

三段階審査論についてのメモランダム

私が、司法試験の勉強を開始した当時、憲法において主流となっていた論理は芦部信喜著「憲法」に支えられていた。

もちろん、現在も芦部先生が憲法学会に与えた影響は大きい。
これは、私のようなものが言うようなことではない。

そして、芦部先生の憲法論の中で、司法試験受験生に最も重視されたのが、法令違憲の判断課程で行われるいわゆる「審査基準論」であった。
その内容は、法令の違憲を論じる際に
侵害される人権の性質について検討をした上で、その性質に応じて当該法令の目的と、規制手段を確認し、当該制限が許されるかを検討するものであった。

このような思考過程は、旧司法試験において唯一無二の絶対的なフォーミュラとして「劣化コピー」を繰り返され、人権制限において十分な個別具体的検討がされない思考停止状態がまん延したと批判されている。

当然、このような批判は芦部先生自体に向けられたのではなく、これを論理の背景にある考えとは別に類型的・定型的に採用した司法試験受験生に向けられたものだといえる。

さて、ここから三段階審査の話であるが、
ドイツでは違憲審査基準として三段階審査と称される一定の審査過程がある(らしい)。

具体的には、
違憲性が問題となる場面において
1.いかなる権利制限が問題となるかを検討し、その内容として
(1)権利の保護領域に対して(第1段階)
(2)当該措置が制限しているといえるか(第2段階)
2.次に制限を正当化するための要件は認められるかを検討する(第3段階)。具体的には
(1)形式的な要件を充たすか(法的根拠はあるのか・明確性の原則等)
(2)実質的な要件を充たすか(比例原則等)
を審査することによって検討するという思考である。

なお、2.に関して言えば、(2)の実質的要件において、比例原則のみを問題視するという記述も散見されるところである。
比例原則については、①手続の適合性②手段の必要性③均衡性の三種を審査することによって、比例原則違反があるか否かを判定するようである。

私にとって、三段階審査論で最も分かりにくかったのが、三段階審査が適さない分野があるという指摘である。
すなわち、保護領域―制限―正当化の図式にあわないものについては、そもそも三段階審査の射程ではないとされ、具体例として生存権や選挙制度の合憲性が挙げられているのであるが、これが一見普遍的に見える三段階審査になぜ適さないのかが分からなかった。

つまり、せっかくいい武器を手に入れても、この武器を使うことが禁忌とされる場合を知らなければ、この武器を使うことをためらってしまう。

「保護領域―制限…の図式にあわない」とは、ある権利が「憲法上」保護されること原則とし、これを制限する事態があくまで例外的であるという場合にワークするという考えがどうも背景にあるようである。
すなわち、生存権のように抽象的権利として保護される人権については、法律による保護規定があって初めて具体的に保護されるのであって、特定の場合に、それが保護領域にあるか否か検討する際に憲法のみで判断できず、違憲性が問題となる法令の内容を検討し、その法令が意見か検討するという奇異な判断が必要となるので、三段階審査に適さないということのようだ。
選挙制度についても、選挙権が人権として認められるのは当然としても、どのような具体的な選挙制度をとるかについては、時の立法府の広範な裁量に服するのであってメタな論理としてのあるべき選挙制度については論じようがない。
したがって、これも「保護領域―制限」という原則例外の過程にのらず、三段階審査に適さないということになる。

以上が、今の時点での私なりの理解である。
なお、参考としたものに「審査基準論と三段階審査」小山剛・ロースクール研究2009年11月号122ページ以下がある。

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