2011年10月28日金曜日

不可罰的(共罰的)事後行為についてのメモランダム

刑法において不可罰的事後行為と呼ばれる場合がある。

これは、同一の法益に向けられた複数の行為が、原因・結果の関係に立つとき、一定の構成要件には該当するが、結果である犯罪が原因である犯罪に吸収される場合の、結果である犯罪をいう。

この場合、原因である犯罪は、結果である犯罪について罰条評価についてカバーしているので、結果である犯罪については成立させないのである。

典型的には、窃盗により領得したものを毀損する場合である。
後行する器物損壊罪については、窃盗罪の判断において評価されている(窃盗罪は、既遂に達した後も違法状態が継続する状態犯であるので、違法状態それ自体については、既に窃盗罪の評価において織り込み済みである。)ことから、器物損壊罪の構成要件には該当するけれども、犯罪として評価しない。

しかし、司法試験において、このような簡単な事案は問われない(というか、基本的とされているこのような概念についての理解を問うため、わざと捻った問題にしてくる。)。

では、次のような事例ではどうだろうか。
〔事例〕
甲は、乙宅から高価な水晶製の灰皿(直径30センチ程度の大振りなもの)を盗もうとしたところ、乙に発見され咎められたため、灰皿の窃取を諦め、当該灰皿で乙の頭部を殴った。
甲は、当該灰皿に甲の指紋や汗などが付着したことから、自己の犯罪の痕跡を隠すため、当該灰皿を粉々に壊した。

本件では、甲は乙の灰皿を窃取しようとして、乙宅内で灰皿を手にしているので、窃盗の着手が認められる。
そして、逮捕を免れるために、大きな硬い灰皿で人体の枢要部である頭部を殴ったのだから、反抗抑圧程度の強い暴行をしているといえ、事後強盗罪を問擬すべきである。
刑法238条にいう「窃盗」とは、窃盗罪の実行に着手したものである(大塚各論P221、反対説:西田各論P175)から、本件で甲は窃盗について未遂であるが、事後強盗罪の既遂となる。

そこで、本件の場合に、器物損壊罪が成立するか、本件灰皿については既に先行する事後強盗罪の成立によって法益侵害が評価され尽くしており、共罰的事後行為となるのではないかが問題となる。

この点、窃盗罪に続く毀棄罪が成立しないとされるのは、窃盗罪が状態犯であり、法益侵害の状態事態については窃盗罪において評価がされているからである。
したがって、窃盗罪の事後の毀棄行為が共罰的事後行為にあたり、処罰されないのは先行する窃盗罪が既遂に達している場合に限ると解すべきである。

本件では、先行する事後強盗罪においてその構成要件に含まれる窃盗罪は未遂にとどまり、本件灰皿に関する法益侵害状態は継続しているとはいいがたい。
よって、本件の場合、先行する事後強盗罪において本件灰皿についての法益侵害は毀棄行為によって新たに侵害されているといえるから、器物損壊罪は別途成立すると解すべきである。

〔事例〕の場合は、事後強盗罪の窃盗が未遂を含むか否か、という問題がある(窃盗が未遂でも構わない、とする学説は、事後強盗を「窃盗犯人が逃亡する際に、暴行・脅迫を加えることが多いという刑事学的実態に着目して、人身保護の観点から」強盗と同じく処断するとしており、そうだとすると窃盗が既遂であろうと未遂であろうと人身保護の観点からは、暴行・脅迫の時点を既遂時期とみるべきであるとする。大谷各論P236)が、今回それはおくとして、窃盗が未遂にとどまる場合は事後の毀棄行為について評価されていないという事案を考えてみた。

なお、これ以外の場合でも共罰的事後行為とならない場合については、
事後行為が新たな法益侵害を伴う場合(本件も被るところ)
同一の法益に向けられた複数の行為であっても、目的・手段、原因・結果というひとつの意思決定に準じた関係にないので、責任減少を肯定できない場合
があるとされている。

なんにつけても、①窃盗②器物損壊ときたら、②は不可罰(共罰)的事後行為だという思考過程は危険である。
参考文献:本文中に挙げたもののほか、井田良「講義刑法学・総論」525ページ以下、山口厚「刑法総論」316ページ以下

2011年10月17日月曜日

法定承継取得説と順次取得説についてのメモランダム

今日は民法94条2項について。
民法は、当事者間で効果意思と表示とが合致(以下「意思の合致」という。)したときに、契約を成立させる。

これらの意思の合致について、総則的に規定したのが意思表示についての規定である。
民法では、93条以下に規定がある。
外見上意思の合致があるように見えても、法律上保護に値しない場合があり、これらは契約成立における意思表示の決まりでは、例外的な場合であるといえる。

そこで、意思表示の規定の中でも典型的でかつ、基本的である94条について検討しよう。
〔事例〕
Aは、事業に失敗し多額の負債を抱えてしまった。Aのもとには、既に現金や預金債権などはなく、財産といえるものは先祖代々受け継いでいる地元の不動産(甲山)しかなかった。
甲山は、A一族の守り神として古くから大事にされてきたものであり、Aとしてもこれを手放すわけにはいかなかった。
しかし、Aの債権者Gは、甲山を差押え、換価することによって自己の債権を満足させようと考えている。
そこで、高校時代からの友人Bに相談し、Aは登記簿上売買を原因としてBに甲山を売り渡すこととし、Bの了承を得た上で移転登記をなした。
ところが、Bは前述の事情について全く知らないCに甲山を売り渡し、代金と引換に移転登記してしまった。
Aは、甲山の登記が見ず知らずのCに移転されていることを知り、C名義の登記を元に戻すように請求したい。
Aの請求は認められるか。
Cは何を主張できるか。

ここで、問題となるのが、民法94条である。
AはBとの間で、登記を移転することについて合意している。
しかし、Aには真実甲山を売却する意図はなく、ただ、執行を逃れるために責任財産を見かけ上Bに移転したいと考えただけである。
そうだとすると、甲山を売却するという法的意思(効果意思)はAにはなく、甲山を売却するという表示行為と合致しないため、このような意思表示は契約を成立させないということになるのが原則である。
ここまでを確認したのが、94条1項である。

〔民法94条1項〕
相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。

しかし、本件で、Cが保護されないとすれば、Bの下に登記名義があることを確認し、Bとの間でお金を払って甲山を手に入れたCがかわいそうである。
そこで、94条2項は、「善意の第三者」にはこのような虚偽の意思表示の無効は主張できないと規定している。

〔民法94条2項〕
前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。

ここで、善意の第三者とは何か、とか、保護されるためには無過失が必要なのではないか、といった問題があるのだが、今回は表題と離れるのでいちいち記述しない。

さて、AがCに対して裁判を起こしたとして、請求原因(Kg)は、
Kg
1.A所有
2.C名義の登記
ということになる。
これに対して、Cは所有権喪失の抗弁(E)を主張することになる。

1.AB間売買
ということになる。
そして、Aは再抗弁(R)として、AB間の売買は虚偽表示なのだから、94条1項に基づき無効だと主張することになる。

1.AB虚偽表示
2.1につきAB合意
となる。

ここで、Cが94条2項によって保護される「善意の第三者」であるとして、この主張は再々抗弁(D)なのか、予備的抗弁(E’)なのかという問題が生じる。
まず、抗弁の機能から検討しよう。
抗弁とは、「原告の主張する請求原因を認めることを前提として、又は請求原因を否認若しくは不知と認否した上でその事実が証拠上認められることを前提として、請求原因が存在することによる法律効果の発生の障害となり、権利を消滅させ、又は権利の行使を阻止する事実」の主張だといわれている(問題研究 要件事実P23)。
しかし、これでは抗弁が「請求原因と要件事実レベルで両立する反論だ。」くらいにしかわからない。
そこで、私がわかりやすいと思ったのは、「抗弁は対象となる相手方の主張の法律効果を覆滅する権利障害、権利阻止、権利消滅事実の主張である。」という説明である。

このように理解すると、再々抗弁と予備的抗弁との違いが分かる。
つまり、そのような抗弁を主張し、容れられたとき、その効果として、相手方の請求原因の前提を覆すのか、それとも再抗弁を覆すのかという判断である。

本件で言うと、Cが94条2項の善意の第三者であることを主張し、裁判所に主張が容れられたら、KgのA所有が否定されるのか、それともRの虚偽表示と合意とが否定され、EのAB売買の事実は残るのかということになる。

この点、94条2項の第三者の主張が予備的抗弁と考える説は、94条2項の第三者と虚偽表示によって自己に権利があると主張するものとの間に法定の承継取得が成り立つと説明する。
判例は、この説を採っていると言われる(最判昭42・10・31)。
これを法定承継取得説と呼んでいて、本件の場合のはAから直接Cへ所有権が移転すると説明するのである。
つまり、AからCへ所有権が移転したと考えるのだから、これが認められると、Aの所有権を否定する所有権喪失の抗弁となる。
したがって、Aの再抗弁を否定する再々抗弁ではなく、請求原因を否定するから抗弁となり、CとしてはAB間売買の所有権喪失の抗弁(E)が認められなかった場合に備えて主張する予備的抗弁(E’)ということになるのである。

これに対して、再々抗弁説は、善意の第三者と主張するとしても、あくまでAB間の譲渡を前提としてABCと順次に所有権は移転したのだと説明する。
これを順次取得説という。
この説は、無権利者からは権利の移転ができない以上、当然Bに所有権が移転していることを前提としてABCと権利は移転したのだと主張する。
よって、AB間の売買を前提として、AB間売買が虚偽表示で無効であるとのAの再抗弁(R)を否定するのだから、再々抗弁(D)にあたるのだということになる。
さて、予備的抗弁説(法定承継取得説)からは、再々抗弁説(順次取得説)に対しては、善意の第三者の主張によりなぜ、虚偽表示無効が障害され、従前の譲渡が復活するか論拠が不明であるとの批判がある。
つまり、明文で虚偽表示は無効としているのだから、AB間の虚偽表示による売買がCの登場で解釈により無効ではなくなるとするのは簡単に明文規定の例外を作り許されないとの批判である。

以上、ざっくりとまとめた。
なお、法定承継取得説によると、本件ではAB、AC間で二重譲渡類似の関係となり、BCは対抗関係に立つ。
順次取得説によるとABCはそれぞれ前主後主の関係になるので、BCは対抗関係にはない。

参考文献:岡口基一「要件事実マニュアル1」、法曹会「問題研究 要件事実」、法曹会「紛争類型別の要件事実」

2011年10月16日日曜日

学修計画

昨年までの反省を生かし、私は論文で人と同じことが書けるようにすることに力をいれることにした。

なぜなら、司法試験において求められるのはみんなと同じように書き、同じように解決する力であるからだ。
もちろん、これはやや強引ではある。
ここでいう「みんな」というのは合格レベルのロースクール生である。
つまり、2年ないし3年みっちり法律の基礎を学び、基本判例や基本学説についての知識が十分に備わっていることを基準にしている。

長い時間をかけてまだ合格できない人は、きっと勉強ができないのではなく、普通に書くということから離れているから合格できないのではないかとおもっている。
まだ、結果を出していない段階でこのようなことを言うのは、少し横柄を捌いているきらいがあるが、個人の意見として聞いていただきたい。

そこで、予備校の論文答練のパックを申し込んで、提出したものとは別に、解説をもとに何度か(3回くらい)同一の事案を起案して知識と表現とをブラッシュアップする練習をすることにした。

ここで、もう一つのポイントである予備校の存在が問題になる。
法科大学院教育においては司法試験予備校の存在が極めてマイナスに語られることが多い。
それは、論証をパターン化して事案の検討をせずに切って張っただけの論文が目立つようになったことへの危機感なのだが、これを盲信してしまうと危ない。
経験から言わせてもらうと、司法試験予備校の模擬試験や答案練習会で好成績をコンスタントに修められる人はやはり司法試験でも上位で合格していることが多い。

もちろん、これには例外もあるのだが、あくまで例外にとどまる程度の数しかない。
やはり、出題意図に沿った論証をして、書くべきことに適切に触れられている論文は評価が高いのである。

これらの認識に基づいて、私は予備校の答練を積極的に活用することにした。

2011年10月9日日曜日

三段階審査論についてのメモランダム

私が、司法試験の勉強を開始した当時、憲法において主流となっていた論理は芦部信喜著「憲法」に支えられていた。

もちろん、現在も芦部先生が憲法学会に与えた影響は大きい。
これは、私のようなものが言うようなことではない。

そして、芦部先生の憲法論の中で、司法試験受験生に最も重視されたのが、法令違憲の判断課程で行われるいわゆる「審査基準論」であった。
その内容は、法令の違憲を論じる際に
侵害される人権の性質について検討をした上で、その性質に応じて当該法令の目的と、規制手段を確認し、当該制限が許されるかを検討するものであった。

このような思考過程は、旧司法試験において唯一無二の絶対的なフォーミュラとして「劣化コピー」を繰り返され、人権制限において十分な個別具体的検討がされない思考停止状態がまん延したと批判されている。

当然、このような批判は芦部先生自体に向けられたのではなく、これを論理の背景にある考えとは別に類型的・定型的に採用した司法試験受験生に向けられたものだといえる。

さて、ここから三段階審査の話であるが、
ドイツでは違憲審査基準として三段階審査と称される一定の審査過程がある(らしい)。

具体的には、
違憲性が問題となる場面において
1.いかなる権利制限が問題となるかを検討し、その内容として
(1)権利の保護領域に対して(第1段階)
(2)当該措置が制限しているといえるか(第2段階)
2.次に制限を正当化するための要件は認められるかを検討する(第3段階)。具体的には
(1)形式的な要件を充たすか(法的根拠はあるのか・明確性の原則等)
(2)実質的な要件を充たすか(比例原則等)
を審査することによって検討するという思考である。

なお、2.に関して言えば、(2)の実質的要件において、比例原則のみを問題視するという記述も散見されるところである。
比例原則については、①手続の適合性②手段の必要性③均衡性の三種を審査することによって、比例原則違反があるか否かを判定するようである。

私にとって、三段階審査論で最も分かりにくかったのが、三段階審査が適さない分野があるという指摘である。
すなわち、保護領域―制限―正当化の図式にあわないものについては、そもそも三段階審査の射程ではないとされ、具体例として生存権や選挙制度の合憲性が挙げられているのであるが、これが一見普遍的に見える三段階審査になぜ適さないのかが分からなかった。

つまり、せっかくいい武器を手に入れても、この武器を使うことが禁忌とされる場合を知らなければ、この武器を使うことをためらってしまう。

「保護領域―制限…の図式にあわない」とは、ある権利が「憲法上」保護されること原則とし、これを制限する事態があくまで例外的であるという場合にワークするという考えがどうも背景にあるようである。
すなわち、生存権のように抽象的権利として保護される人権については、法律による保護規定があって初めて具体的に保護されるのであって、特定の場合に、それが保護領域にあるか否か検討する際に憲法のみで判断できず、違憲性が問題となる法令の内容を検討し、その法令が意見か検討するという奇異な判断が必要となるので、三段階審査に適さないということのようだ。
選挙制度についても、選挙権が人権として認められるのは当然としても、どのような具体的な選挙制度をとるかについては、時の立法府の広範な裁量に服するのであってメタな論理としてのあるべき選挙制度については論じようがない。
したがって、これも「保護領域―制限」という原則例外の過程にのらず、三段階審査に適さないということになる。

以上が、今の時点での私なりの理解である。
なお、参考としたものに「審査基準論と三段階審査」小山剛・ロースクール研究2009年11月号122ページ以下がある。

2011年10月1日土曜日

何をするべきか

司法試験に挑戦し始めてこの秋で8年が経った。

旧司法試験では、択一でまったく歯がたたず。
最終的に40点台で、法科大学院へ進学することにした。

法科大学院では、精神を病み2年間を棒に振った。

結果、今春の新司法試験では、210点の択一合格点に対し、211点と辛勝し、
論文では、まったく相手にされなかった。

これまで、自分が長い時間をかけてきたことが、まったく無駄だとは思わないし、無駄にもしたくない。
だから、これまでの自分がよかったこと、わるかったことを詳細かつ、冷静、客観的に観察した上で、来年の必勝を期し計画を立てることにした。

新司法試験で問われることは、基本的な論点に対し、通説・判例を踏まえた論述ができることだ。
これは、何も複雑な思考過程が必要とされることではない。

私に致命的に足りないのは、きっと基本論点の通説的解決の方法と、これらに与えられる基礎点が確実に答えられることだと思う。
これができるようになるために、まず徹底的に判例を読むこと、基本書で思考過程をインプットすることだ。
そして、同様に重要なのが、インプットとアウトプットとを連動させることだと思われる。

そのためには、やはり手を動かす読書ということになろうか。
すなわち、基本書・判例集の内容を自分なりに、順を追った思考過程に変換しこれを紙の上に表現するということ。
そして、これを常に表現できるようにするため記憶することが最優先だと思われる。

要は、「論証パターン」を作ることであり、このような作業は従来司法試験予備校が行ってきたことと同様であるということになる。
ただし、これを自分で作るという能動的な作業を通じて、論理の流れを自分のものにするということを大事にしたい。

来年、思いを果たしたなら、学修に悩むロースクール生にとってこのブログが参考になれば幸いである。