ここ数日頭を悩ませていた問題がある。
それは、給付利得における危険負担の論証でなぜ民法534条ではなく536条を類推するのかということだ。
平成22年及び平成12年出題に係る旧司法試験民法の問題について(事案を単純化しています)
AはBから著名な画家作の絵画を2000万円で買い受けた。
しかし、当該絵画は実は贋作であったことから、これについて錯誤無効を主張していた。
Bは錯誤を認めたので、絵画と代金の返還についてABで協議していたところ、たまたまA宅隣家からの延焼で絵画が焼失してしまった。
このような場合に、AB間の法律関係はどうなるか。
ここで、問題をAB間相互の代金返還請求と絵画の返還請求の関係のみにしぼって考える。
AB間の売買契約は、Aの無効主張によって当初から無効のものとなった。
したがって、Aは当該絵画を保持する権原を有しないし、当然Bも代金2000万円を保持する権原を有しない。
よって、相互に不当利得返還請求権(民法703条)を有することになる。
この点、不当利得には一般的に2類型あると主張されることを確認したい。
すなわち、「外形上有効な契約その他の法律上の根拠に基づいて財貨が移転したが、契約が無効、取消し、解除により効力を失った結果、財貨を取り戻す類型(これを給付利得という)」と「外形的にも契約関係にない当事者間において、法律上一方当事者が有する権利を他方が侵害し、権原なく利益を得た場合(これを侵害利得という)」の二つである。
一般的に不当利得というと、おそらく侵害利得を想定されるのだと思う。
給付利得に特徴的なことは、外形上有効な法律関係(これを表見的法律関係とよぼう)が存在することである。
以上を前提に本件でAB間の法律関係を検討すると、
Aは代金返還請求権をBは絵画の返還請求権をそれぞれ持っているということになる。
そして、そのどちらも不当利得(703条)を理由とするのだという点については、前述の通りである。
703条の条文(「法律上の原因なく、他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損害を及ぼした者は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。」)からすると、AもBも利益の存する限度、つまり現存利益の範囲で返還義務を負うに過ぎないことになろう。
しかし、Aは手許で絵画を焼失させてしまっているので、もはや現存利益はない。
そうすると、Aは何も返さなくてもいいのだがBは2000万円を返還する義務を負い続けるという結論になる。
このような解決策は、Bにとって酷だといえるので不都合である。
そこで、本件不当利得請求は給付利得の事案におけるものであったことを思い出すと、
給付利得は表見的法律関係を否定したことで生じるものだということから、表見的法律関係の性質がその「巻き戻し」として2つの不当利得請求に反映されるべきではないかと考えられることになる。
したがって、表見的法律関係であるAB売買契約(555条)の性質である有償双務諾成契約についての規律、同時履行(533条)関係についての規律が類推されることになると考えられる(もちろん、不当利得が一つで双務契約になるわけがなく、「適用」はできない。しかし、上記の類似性に鑑み「類推適用」するのである。意外と大事なところかもしれない。)。
2つの不当利得関係は、上記の論証で双務契約の規定が類推できることになった。
そして、これらのうちAの絵画返還債務は、Aの無効主張によって債務が発生した後に、A宅隣家の失火及び延焼という当事者の帰責性によらずに履行できなくなった後発的履行不能の事案といえる。
したがって、危険負担の規定が適用できると考えるのである。
ここからが、よく分からなかったところだ。
悩みどころはこうである。
危険負担の規定を適用するならば、Aの債務は特定物たる絵画の返還であり、すなわち「特定物に関する物権の設定又は移転を双務契約の目的とした場合」なのだから534条1項を類推すべきなのではないのかと思ったのに対し予備校本では「表見的契約関係が双務契約であるときは、その双務契約の巻き戻しの関係が認められるから、両債務の牽連性を不当利得の関係に反映し、危険負担類似の処理によるべきである。」としたうえで、「よって、民法536条1項の債務者主義により…」として結論へ結んでいる。
意味が分からない。
危険負担類似の処理によるべき
↓
よって
↓
債務者主義
というのはおそらく通常の思考過程ではないのではないか、少なくとも本件が特定物の返還について問題になっているのだから、534条1項との関係に触れないと通じないのでは。
いや、そもそも自分の理解が間違っているのかも知れない。
などと、思い悩んでしまった。
どうも、この点(給付利得と危険負担)は、基本論点らしいのだがあまりに不勉強で、知らなかったというか忘れていたのがお恥ずかしい。
とにかく、通説は不当利得関係では危険負担は債務者主義の536条ということで決まっているらしい。
なぜか。
それは、そもそも危険負担というのは双務契約の対価的牽連関係を維持するため、帰責性によらない債務の消滅の危険をどちらが負うかという観点からできた概念である。
そして、自己の支配領域に属するリスクは、支配領域から利益も得ている以上は、自己が負うべきとの考え方から原則として債務が消滅した危険は債務者が負うという536条1項が導き出される。
反面、特定物については、特定が生じたものについてはその物についての支配は、契約の成立と同時に引き渡し債権者(簡単に言うと買主)に移転していると考えられるから、実質的に特定物について支配領域をもっているので、例外的に債権者が危険を負うとの534条1項が認められるのだと説明されている(気がする)。
そうだとすると、本件で534条1項による解決をした結果は、絵画の引渡を求める債権者Bが危険を負担することになって、代金の返還債務は負うが絵画の引渡は受けられないという結果になってしまう。
これは、危険負担の趣旨である双務契約の対価的牽連性を維持することに反するばかりか、そもそも不当利得の原則で処理した結果の不都合性から危険負担法理を持ち出したのに、不当利得による処理と同じ結果になってしまう点で不都合であるといえる。
以上から、対価的牽連関係の維持との危険負担の原則に戻り、これを実現させる536条1項による処理が要求されるのである。
したがって、Aは代金の返還を請求できずBも絵画の返還を請求できないという結論になる。
------------ここまでが一般的な論証--------------
ただ、なんとなくすわりが悪い。
なぜなら、Bは可哀想だなどと言っておいて、Aの絵画を失い代金も返すという不利益を無視しているからである。
絵画の焼失はAのせいではないのだから、このような負担をAだけに求めることが正当かという観点はおそらく正しい。
内田先生はこの点に関して、「危険負担の発想から、Aの支配領域で生じた帰責事由のない滅失のリスクはAに負担させて、Aに滅失した絵画の時価を賠償させ、これとBの代金返還債務を同時履行の関係に立たせるべきだろう。」としている(一部事案にあわせて改変)。
確かにこの方が公平な感じもする。
しかし、そもそも支配領域のリスクを負わせるとするなら、危険負担ではなく善管注意義務(400条)違反による債務不履行責任(415条)を擬制するのと同じではないのかなどと偉そうに考えている。
以上
参考:藤原正則「法律学の森 不当利得法」165ページ以下、内田貴「民法Ⅱ」564ページ以下、スタンダード民法第3問
tinge's log
(新)司法試験受験生 旧司法試験の度重なる失敗を経て、2011年捲土重来を期し新司法試験に挑戦するが、失敗。 2012年司法試験合格を目指し精進中
2011年12月15日木曜日
2011年12月4日日曜日
役員の対第三者責任についてのメモランダム
株式会社において、役員等(取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人のこと会社法423条1項括弧書を参照)は、当該会社の具体的な事業を執行する。
会社は、このような役員等を経営の専門家として経営に関する事項について役員等に委任しており(330条)、損害が生じたからといっても、任務懈怠(善管注意義務違反、忠実義務違反)がない限り結果責任を負わせることはない。
同様に、会社の事業によって、第三者に損害が生じた場合にも、役員等は第三者に対して賠償責任を負う場合がある(429条1項以下「本条」)。
本条のポイントは、(1)本条の責任の法的性質、(2)損害の範囲として間接損害の場合も本条の範疇に含まれるか、(3)「第三者」に株主が含まれるかという点にある。
そして、これらを考察するとき忘れてはならないのが、当該事例が直接損害の事例か間接損害の事例かという点である。
以上、論点として3点、視点として1点を念頭に置くことが基本である。
(1)まず、論点となるのは本条の責任の法的性質であるが、判例(最大判昭44.11.26百選71事件)は、これを不法行為責任とは別の特別の法定責任であるとしている(法定責任説)。
そして、本条の責任が不法行為責任とは別の根拠による責任であることの帰結として、①本条が要求する悪意重過失の対象は任務懈怠に対してあれば足り(本質的に不法行為責任であるとすると、故意過失の対象は損害となる点が異なる)、②役員等に不法行為が成立する場合は、当該第三者は役員等に対し別途不法行為(民法709条等)に基づく損害賠償を請求しうるとした。
昭和44年最大判の事案は簡単にするとこうである。
A社の代表取締役Yは、Xに対してA社社長Y名義で約束手形を振り出し、当該約束手形が不渡りとなって回収できなくなったのでYの対第三者責任を追及した。
事案は、間接損害事例(取締役の悪意重過失による任務懈怠によって会社が損害を被り、その結果第三者に損害が生じる事案のこと)ではなく、直接損害事例(取締役の悪意重過失により、会社に損害がなく、直接第三者が損害が生じる事案のこと)であって、原告Xは予備的に民法715条の不法行為責任をも主張した事案であった(視点)。
(2)そして、同判決は「第三者保護の立場から」、「取締役の任務懈怠と第三者の損害との間に相当の因果関係があるかぎり、会社がこれによって損害を被った結果、ひいては第三者に損害が生じた場合であると、直接第三者が損害を被った場合であるとを問うことなく」、取締役には賠償義務が生じるとした。
なぜ、直接損害事例か間接損害事例かが問題になるかといえば、直接損害については一般不法行為法の範疇ではないかと考えられ、間接損害については本条の責任を認めなくとも債権者代位(民法423条)や株主代表訴訟(会社法847条)によって会社の有する債権を行使すれば足りるのではないかと思われるからである。
しかし、「第三者保護」を強調するならば、損害を被った第三者が不法行為を理由として当該役員等には損害の発生について故意過失があって損害を生じたことを立証させるのは、役員等の事業行為についての高度な専門性に鑑み(「こうすべきなのにしなかった」ことを経営の素人が主張するの必要があるので)困難であること、また債権者代位の前提としての会社に対する任務懈怠の存否についての立証についても迂遠であることから避けるべきであるといえる。
よって、判例は直接間接の両損害を包含することにしたと思える。
(3)さらに、実際に試験で問われる場合、会社、役員等、株主以外の者に損害が生じた場合でなく、株主に損害が生じた場合が問われるケースが経験上は多い。
株主は、会社の実質的な所有者であり、会社の事業に濃厚な利害関係を有するだけではなく間接有限責任をも負っていることから、このような株主も「第三者」として本条により保護されるか問題となる。
この点、問題となるケースが直接損害か間接損害かによって解決が異なるとするのが通説である。
なぜなら、株主には会社に対して役員等に会社に損害を賠償せよと要求する手立てが用意されている(847条1項)からである。
つまり、間接損害事例は会社に損害が生じてこれによって第三者に損害が生じているものであるから、当該第三者が株主であるとすると代表訴訟がまさにワークする場面であるということになるのである。
通説は、このような場合会社は役員等に対して損害賠償を請求でき、他方第三者として株主が本条によって直接自己に損害の補填を請求できるとすると役員等は、同一の任務懈怠に基づいて二重に賠償責任を負うことになり妥当ではない。そうであれば、株主が本条の責任を追及することで会社の有する賠償請求権を奪うことになってしまう。
このような不都合性を解消するため、株主は間接損害を被った場合、本条によらず847条によって会社に訴訟提起を請求すべきであると考えるのである。
他方、直接損害事例は損害が会社に生じていないのであるから、当該損害についての請求権者は第三者しかありえず利害関係を有するといっても事業を執行しない株主に損害を甘受させる理由はないから、株主も「第三者」として本条の責任を追及することができると考える。
ただし、会社も株主も損害を被った間接損害の事例でも株主が本条の責任を追求すべき場合はあると考える説もある(江頭)。
たとえば、取締役が支配株主を兼ねているような場合には代表訴訟が十全に機能しない可能性があるからである。
以上を前提に、問題となりそうなのが、間接損害の事例として取り上げられる取締役による有利発行(著しく有利な価額で株を発行した場合)の事例である。
例えば、純資産2億の会社が100株を発行していた場合において、1株20万円で100株の募集株式を発行した場合、新株発行前の1株の価値は200万であるのに対し、新株発行後は110万円になってしまう。
この場合、会社には本来1株当たり200万円の払い込みがあるべきであるのにも拘らず、実際には1株20万円しか払い込まれていないのであるから会社に損害があり、さらに既存株主は1株あたり90万円もの株価の下落を被るのであるから損害を被っているといえる。
そこで、株主は本条の責任を役員等に追及したいと考えるが、このような損害は間接損害なので847条による処理をすべきになるのである。
しかし、実務ではこのような場合にも株主が本条の責任を追及することを認めている。
なぜなら、このような場合、会社が損害を被っていないいわば直接損害事例だとも考えられるからである。
つまり、新株発行に際し払い込まれる金額は、株価の多寡に拘わらず資金調達として会社に損害を及ぼすものではないと考えるのである。
そうだとすれば、株主は「第三者」として本条の責任を役員等に追及することができるのである。
このように、間接損害とみるか直接損害と見るかによって法的構成は異なる(らしい)。
しかし、明らかに会社に損害が生じていたり、逆に会社には何の損害も生じていない場合は格別、そうでないならば自己の帰結に向かって直接損害か間接損害かを株主が代表訴訟をすることが期待できるのか代表訴訟がきちんと機能する場面かを勘案することで認定することも許されるのではないかと考える。
参考文献:江頭憲治郎「株式会社法」、伊藤靖史ほか「リーガルクエスト会社法」、判例百選P146洲崎解説
会社は、このような役員等を経営の専門家として経営に関する事項について役員等に委任しており(330条)、損害が生じたからといっても、任務懈怠(善管注意義務違反、忠実義務違反)がない限り結果責任を負わせることはない。
同様に、会社の事業によって、第三者に損害が生じた場合にも、役員等は第三者に対して賠償責任を負う場合がある(429条1項以下「本条」)。
本条のポイントは、(1)本条の責任の法的性質、(2)損害の範囲として間接損害の場合も本条の範疇に含まれるか、(3)「第三者」に株主が含まれるかという点にある。
そして、これらを考察するとき忘れてはならないのが、当該事例が直接損害の事例か間接損害の事例かという点である。
以上、論点として3点、視点として1点を念頭に置くことが基本である。
(1)まず、論点となるのは本条の責任の法的性質であるが、判例(最大判昭44.11.26百選71事件)は、これを不法行為責任とは別の特別の法定責任であるとしている(法定責任説)。
そして、本条の責任が不法行為責任とは別の根拠による責任であることの帰結として、①本条が要求する悪意重過失の対象は任務懈怠に対してあれば足り(本質的に不法行為責任であるとすると、故意過失の対象は損害となる点が異なる)、②役員等に不法行為が成立する場合は、当該第三者は役員等に対し別途不法行為(民法709条等)に基づく損害賠償を請求しうるとした。
昭和44年最大判の事案は簡単にするとこうである。
A社の代表取締役Yは、Xに対してA社社長Y名義で約束手形を振り出し、当該約束手形が不渡りとなって回収できなくなったのでYの対第三者責任を追及した。
事案は、間接損害事例(取締役の悪意重過失による任務懈怠によって会社が損害を被り、その結果第三者に損害が生じる事案のこと)ではなく、直接損害事例(取締役の悪意重過失により、会社に損害がなく、直接第三者が損害が生じる事案のこと)であって、原告Xは予備的に民法715条の不法行為責任をも主張した事案であった(視点)。
(2)そして、同判決は「第三者保護の立場から」、「取締役の任務懈怠と第三者の損害との間に相当の因果関係があるかぎり、会社がこれによって損害を被った結果、ひいては第三者に損害が生じた場合であると、直接第三者が損害を被った場合であるとを問うことなく」、取締役には賠償義務が生じるとした。
なぜ、直接損害事例か間接損害事例かが問題になるかといえば、直接損害については一般不法行為法の範疇ではないかと考えられ、間接損害については本条の責任を認めなくとも債権者代位(民法423条)や株主代表訴訟(会社法847条)によって会社の有する債権を行使すれば足りるのではないかと思われるからである。
しかし、「第三者保護」を強調するならば、損害を被った第三者が不法行為を理由として当該役員等には損害の発生について故意過失があって損害を生じたことを立証させるのは、役員等の事業行為についての高度な専門性に鑑み(「こうすべきなのにしなかった」ことを経営の素人が主張するの必要があるので)困難であること、また債権者代位の前提としての会社に対する任務懈怠の存否についての立証についても迂遠であることから避けるべきであるといえる。
よって、判例は直接間接の両損害を包含することにしたと思える。
(3)さらに、実際に試験で問われる場合、会社、役員等、株主以外の者に損害が生じた場合でなく、株主に損害が生じた場合が問われるケースが経験上は多い。
株主は、会社の実質的な所有者であり、会社の事業に濃厚な利害関係を有するだけではなく間接有限責任をも負っていることから、このような株主も「第三者」として本条により保護されるか問題となる。
この点、問題となるケースが直接損害か間接損害かによって解決が異なるとするのが通説である。
なぜなら、株主には会社に対して役員等に会社に損害を賠償せよと要求する手立てが用意されている(847条1項)からである。
つまり、間接損害事例は会社に損害が生じてこれによって第三者に損害が生じているものであるから、当該第三者が株主であるとすると代表訴訟がまさにワークする場面であるということになるのである。
通説は、このような場合会社は役員等に対して損害賠償を請求でき、他方第三者として株主が本条によって直接自己に損害の補填を請求できるとすると役員等は、同一の任務懈怠に基づいて二重に賠償責任を負うことになり妥当ではない。そうであれば、株主が本条の責任を追及することで会社の有する賠償請求権を奪うことになってしまう。
このような不都合性を解消するため、株主は間接損害を被った場合、本条によらず847条によって会社に訴訟提起を請求すべきであると考えるのである。
他方、直接損害事例は損害が会社に生じていないのであるから、当該損害についての請求権者は第三者しかありえず利害関係を有するといっても事業を執行しない株主に損害を甘受させる理由はないから、株主も「第三者」として本条の責任を追及することができると考える。
ただし、会社も株主も損害を被った間接損害の事例でも株主が本条の責任を追求すべき場合はあると考える説もある(江頭)。
たとえば、取締役が支配株主を兼ねているような場合には代表訴訟が十全に機能しない可能性があるからである。
以上を前提に、問題となりそうなのが、間接損害の事例として取り上げられる取締役による有利発行(著しく有利な価額で株を発行した場合)の事例である。
例えば、純資産2億の会社が100株を発行していた場合において、1株20万円で100株の募集株式を発行した場合、新株発行前の1株の価値は200万であるのに対し、新株発行後は110万円になってしまう。
この場合、会社には本来1株当たり200万円の払い込みがあるべきであるのにも拘らず、実際には1株20万円しか払い込まれていないのであるから会社に損害があり、さらに既存株主は1株あたり90万円もの株価の下落を被るのであるから損害を被っているといえる。
そこで、株主は本条の責任を役員等に追及したいと考えるが、このような損害は間接損害なので847条による処理をすべきになるのである。
しかし、実務ではこのような場合にも株主が本条の責任を追及することを認めている。
なぜなら、このような場合、会社が損害を被っていないいわば直接損害事例だとも考えられるからである。
つまり、新株発行に際し払い込まれる金額は、株価の多寡に拘わらず資金調達として会社に損害を及ぼすものではないと考えるのである。
そうだとすれば、株主は「第三者」として本条の責任を役員等に追及することができるのである。
このように、間接損害とみるか直接損害と見るかによって法的構成は異なる(らしい)。
しかし、明らかに会社に損害が生じていたり、逆に会社には何の損害も生じていない場合は格別、そうでないならば自己の帰結に向かって直接損害か間接損害かを株主が代表訴訟をすることが期待できるのか代表訴訟がきちんと機能する場面かを勘案することで認定することも許されるのではないかと考える。
参考文献:江頭憲治郎「株式会社法」、伊藤靖史ほか「リーガルクエスト会社法」、判例百選P146洲崎解説
2011年12月3日土曜日
書籍
9月以降に購入した書籍
1.山口厚「基本判例に学ぶ 刑法総論」成文堂 2500円
2.山口厚「基本判例に学ぶ 刑法各論」成文堂 2500円
3.中田裕康「債権総論 新版」岩波書店 4500円
4.小山剛「『憲法上の権利』の作法 新版」尚学社 2500円
5.大貫裕之・土田伸也「行政法 事案解析の作法」日本評論社 2800円
基本的に使用している基本書
民法
内田貴「民法ⅠⅡⅢⅣ」東京大学出版会
岡口基一「要件事実マニュアル12」ぎょうせい
商法・会社法
伊藤靖史・大杉謙一・田中亘・松井秀征「リーガルクエスト 会社法」有斐閣
民事訴訟法
伊藤眞「民事訴訟法」有斐閣
刑法
西田典之「刑法各論」弘文堂
井田良「講義刑法学・総論」有斐閣
刑事訴訟法
安冨潔「刑事訴訟法」有斐閣
憲法
芦部信喜「憲法」岩波書店
行政法
櫻井敬子・橋本博之「行政法」弘文堂
労働法
菅野和夫「労働法」弘文堂
その他の参考書・蔵書
民法
川井健「民法概論①②③④」有斐閣
大村敦「基本民法ⅠⅡⅢ」有斐閣
山本敬三「民法講義ⅠⅣ―1」有斐閣
吉村良一「不法行為法」有斐閣
村田渉・山野目章夫「要件事実論30講」弘文堂
松崎久和・塩見佳男・山本敬三「民法総合・事例演習」有斐閣
商法・会社法
江頭憲治郎「株式会社法」有斐閣
神田秀樹「会社法」弘文堂
弥永真生「リーガルマインド 会社法」有斐閣
落合誠一・近藤光男・神田秀樹「有斐閣Sシリーズ 商法Ⅱ 会社」有斐閣
弥永真生「リーガルマインド 手形法・小切手法」有斐閣
前田庸「手形法・小切手法入門」有斐閣
鴻常夫「商法総論」弘文堂
葉玉匡美「新・会社法100問」ダイヤモンド社
相澤哲・葉玉匡美・郡谷大輔「論点解説 新・会社法 千問の道標」商事法務
前田雅弘・北村雅史・洲崎博史「会社法事例演習教材」有斐閣
民事訴訟法
高橋宏志「重点講義 民事訴訟法上下」有斐閣
中野貞一郎・鈴木正裕・松浦馨「有斐閣大学双書 新民事訴訟法講義」有斐閣
三木浩一・山本和彦「ロースクール民事訴訟法」有斐閣
遠藤賢治「事例演習民事訴訟法」有斐閣
刑法
山口厚「刑法総論」有斐閣
山口厚「刑法各論」有斐閣
堀内捷三「刑法総論」有斐閣
堀内捷三「刑法各論」有斐閣
大塚仁「刑法概説〔総論〕」有斐閣
大塚仁「刑法概説〔各論〕」有斐閣
前田雅英「刑法総論講義」東京大学出版会
石井一正「刑事事実認定入門」判例タイムズ社
島田聡一郎・小林憲太郎「事例から刑法を考える」有斐閣
刑事訴訟法
田口守一「刑事訴訟法」弘文堂
田宮裕「刑事訴訟法」有斐閣
渥美東洋「刑事訴訟法」有斐閣
松尾浩也「刑事訴訟法上下」弘文堂
平野龍一「刑事訴訟法概説」東京大学出版会
長沼範良・寺崎嘉博・田中開「有斐閣アルマ 刑事訴訟法」有斐閣
平野龍一・松尾浩也「新実例刑事訴訟法ⅠⅡⅢ」青林書院
憲法
高橋和之「立憲主義と日本国憲法」有斐閣
棟居快行・工藤達朗・小山剛「プロセス演習 憲法」信山社
行政法
塩野宏「行政法ⅠⅡⅢ」有斐閣
宇賀克也「行政法概説ⅠⅡ」有斐閣
大浜啓吉「行政法総論」岩波書店
岩本安昭・秋田仁志・越智敏裕・村松秀樹「公法系訴訟実務の基礎」弘文堂
労働法
荒木尚志・島田陽一・土田道夫・中窪裕也「ケースブック労働法」有斐閣
野川忍「労働判例インデックス」商事法務
水町勇一郎「事例演習労働法」有斐閣
その他
判例百選各種
争点シリーズ
法学教室「つまずきのもと」
辰巳法律研究所「趣旨・規範ハンドブック」
辰巳法律研究所「えんしゅう本」
法曹会関連等
1.山口厚「基本判例に学ぶ 刑法総論」成文堂 2500円
2.山口厚「基本判例に学ぶ 刑法各論」成文堂 2500円
3.中田裕康「債権総論 新版」岩波書店 4500円
4.小山剛「『憲法上の権利』の作法 新版」尚学社 2500円
5.大貫裕之・土田伸也「行政法 事案解析の作法」日本評論社 2800円
基本的に使用している基本書
民法
内田貴「民法ⅠⅡⅢⅣ」東京大学出版会
岡口基一「要件事実マニュアル12」ぎょうせい
商法・会社法
伊藤靖史・大杉謙一・田中亘・松井秀征「リーガルクエスト 会社法」有斐閣
民事訴訟法
伊藤眞「民事訴訟法」有斐閣
刑法
西田典之「刑法各論」弘文堂
井田良「講義刑法学・総論」有斐閣
刑事訴訟法
安冨潔「刑事訴訟法」有斐閣
憲法
芦部信喜「憲法」岩波書店
行政法
櫻井敬子・橋本博之「行政法」弘文堂
労働法
菅野和夫「労働法」弘文堂
その他の参考書・蔵書
民法
川井健「民法概論①②③④」有斐閣
大村敦「基本民法ⅠⅡⅢ」有斐閣
山本敬三「民法講義ⅠⅣ―1」有斐閣
吉村良一「不法行為法」有斐閣
村田渉・山野目章夫「要件事実論30講」弘文堂
松崎久和・塩見佳男・山本敬三「民法総合・事例演習」有斐閣
商法・会社法
江頭憲治郎「株式会社法」有斐閣
神田秀樹「会社法」弘文堂
弥永真生「リーガルマインド 会社法」有斐閣
落合誠一・近藤光男・神田秀樹「有斐閣Sシリーズ 商法Ⅱ 会社」有斐閣
弥永真生「リーガルマインド 手形法・小切手法」有斐閣
前田庸「手形法・小切手法入門」有斐閣
鴻常夫「商法総論」弘文堂
葉玉匡美「新・会社法100問」ダイヤモンド社
相澤哲・葉玉匡美・郡谷大輔「論点解説 新・会社法 千問の道標」商事法務
前田雅弘・北村雅史・洲崎博史「会社法事例演習教材」有斐閣
民事訴訟法
高橋宏志「重点講義 民事訴訟法上下」有斐閣
中野貞一郎・鈴木正裕・松浦馨「有斐閣大学双書 新民事訴訟法講義」有斐閣
三木浩一・山本和彦「ロースクール民事訴訟法」有斐閣
遠藤賢治「事例演習民事訴訟法」有斐閣
刑法
山口厚「刑法総論」有斐閣
山口厚「刑法各論」有斐閣
堀内捷三「刑法総論」有斐閣
堀内捷三「刑法各論」有斐閣
大塚仁「刑法概説〔総論〕」有斐閣
大塚仁「刑法概説〔各論〕」有斐閣
前田雅英「刑法総論講義」東京大学出版会
石井一正「刑事事実認定入門」判例タイムズ社
島田聡一郎・小林憲太郎「事例から刑法を考える」有斐閣
刑事訴訟法
田口守一「刑事訴訟法」弘文堂
田宮裕「刑事訴訟法」有斐閣
渥美東洋「刑事訴訟法」有斐閣
松尾浩也「刑事訴訟法上下」弘文堂
平野龍一「刑事訴訟法概説」東京大学出版会
長沼範良・寺崎嘉博・田中開「有斐閣アルマ 刑事訴訟法」有斐閣
平野龍一・松尾浩也「新実例刑事訴訟法ⅠⅡⅢ」青林書院
憲法
高橋和之「立憲主義と日本国憲法」有斐閣
棟居快行・工藤達朗・小山剛「プロセス演習 憲法」信山社
行政法
塩野宏「行政法ⅠⅡⅢ」有斐閣
宇賀克也「行政法概説ⅠⅡ」有斐閣
大浜啓吉「行政法総論」岩波書店
岩本安昭・秋田仁志・越智敏裕・村松秀樹「公法系訴訟実務の基礎」弘文堂
労働法
荒木尚志・島田陽一・土田道夫・中窪裕也「ケースブック労働法」有斐閣
野川忍「労働判例インデックス」商事法務
水町勇一郎「事例演習労働法」有斐閣
その他
判例百選各種
争点シリーズ
法学教室「つまずきのもと」
辰巳法律研究所「趣旨・規範ハンドブック」
辰巳法律研究所「えんしゅう本」
法曹会関連等
2011年10月28日金曜日
不可罰的(共罰的)事後行為についてのメモランダム
刑法において不可罰的事後行為と呼ばれる場合がある。
これは、同一の法益に向けられた複数の行為が、原因・結果の関係に立つとき、一定の構成要件には該当するが、結果である犯罪が原因である犯罪に吸収される場合の、結果である犯罪をいう。
この場合、原因である犯罪は、結果である犯罪について罰条評価についてカバーしているので、結果である犯罪については成立させないのである。
典型的には、窃盗により領得したものを毀損する場合である。
後行する器物損壊罪については、窃盗罪の判断において評価されている(窃盗罪は、既遂に達した後も違法状態が継続する状態犯であるので、違法状態それ自体については、既に窃盗罪の評価において織り込み済みである。)ことから、器物損壊罪の構成要件には該当するけれども、犯罪として評価しない。
しかし、司法試験において、このような簡単な事案は問われない(というか、基本的とされているこのような概念についての理解を問うため、わざと捻った問題にしてくる。)。
では、次のような事例ではどうだろうか。
〔事例〕
甲は、乙宅から高価な水晶製の灰皿(直径30センチ程度の大振りなもの)を盗もうとしたところ、乙に発見され咎められたため、灰皿の窃取を諦め、当該灰皿で乙の頭部を殴った。
甲は、当該灰皿に甲の指紋や汗などが付着したことから、自己の犯罪の痕跡を隠すため、当該灰皿を粉々に壊した。
本件では、甲は乙の灰皿を窃取しようとして、乙宅内で灰皿を手にしているので、窃盗の着手が認められる。
そして、逮捕を免れるために、大きな硬い灰皿で人体の枢要部である頭部を殴ったのだから、反抗抑圧程度の強い暴行をしているといえ、事後強盗罪を問擬すべきである。
刑法238条にいう「窃盗」とは、窃盗罪の実行に着手したものである(大塚各論P221、反対説:西田各論P175)から、本件で甲は窃盗について未遂であるが、事後強盗罪の既遂となる。
そこで、本件の場合に、器物損壊罪が成立するか、本件灰皿については既に先行する事後強盗罪の成立によって法益侵害が評価され尽くしており、共罰的事後行為となるのではないかが問題となる。
この点、窃盗罪に続く毀棄罪が成立しないとされるのは、窃盗罪が状態犯であり、法益侵害の状態事態については窃盗罪において評価がされているからである。
したがって、窃盗罪の事後の毀棄行為が共罰的事後行為にあたり、処罰されないのは先行する窃盗罪が既遂に達している場合に限ると解すべきである。
本件では、先行する事後強盗罪においてその構成要件に含まれる窃盗罪は未遂にとどまり、本件灰皿に関する法益侵害状態は継続しているとはいいがたい。
よって、本件の場合、先行する事後強盗罪において本件灰皿についての法益侵害は毀棄行為によって新たに侵害されているといえるから、器物損壊罪は別途成立すると解すべきである。
〔事例〕の場合は、事後強盗罪の窃盗が未遂を含むか否か、という問題がある(窃盗が未遂でも構わない、とする学説は、事後強盗を「窃盗犯人が逃亡する際に、暴行・脅迫を加えることが多いという刑事学的実態に着目して、人身保護の観点から」強盗と同じく処断するとしており、そうだとすると窃盗が既遂であろうと未遂であろうと人身保護の観点からは、暴行・脅迫の時点を既遂時期とみるべきであるとする。大谷各論P236)が、今回それはおくとして、窃盗が未遂にとどまる場合は事後の毀棄行為について評価されていないという事案を考えてみた。
なお、これ以外の場合でも共罰的事後行為とならない場合については、
事後行為が新たな法益侵害を伴う場合(本件も被るところ)
同一の法益に向けられた複数の行為であっても、目的・手段、原因・結果というひとつの意思決定に準じた関係にないので、責任減少を肯定できない場合
があるとされている。
なんにつけても、①窃盗②器物損壊ときたら、②は不可罰(共罰)的事後行為だという思考過程は危険である。
参考文献:本文中に挙げたもののほか、井田良「講義刑法学・総論」525ページ以下、山口厚「刑法総論」316ページ以下
これは、同一の法益に向けられた複数の行為が、原因・結果の関係に立つとき、一定の構成要件には該当するが、結果である犯罪が原因である犯罪に吸収される場合の、結果である犯罪をいう。
この場合、原因である犯罪は、結果である犯罪について罰条評価についてカバーしているので、結果である犯罪については成立させないのである。
典型的には、窃盗により領得したものを毀損する場合である。
後行する器物損壊罪については、窃盗罪の判断において評価されている(窃盗罪は、既遂に達した後も違法状態が継続する状態犯であるので、違法状態それ自体については、既に窃盗罪の評価において織り込み済みである。)ことから、器物損壊罪の構成要件には該当するけれども、犯罪として評価しない。
しかし、司法試験において、このような簡単な事案は問われない(というか、基本的とされているこのような概念についての理解を問うため、わざと捻った問題にしてくる。)。
では、次のような事例ではどうだろうか。
〔事例〕
甲は、乙宅から高価な水晶製の灰皿(直径30センチ程度の大振りなもの)を盗もうとしたところ、乙に発見され咎められたため、灰皿の窃取を諦め、当該灰皿で乙の頭部を殴った。
甲は、当該灰皿に甲の指紋や汗などが付着したことから、自己の犯罪の痕跡を隠すため、当該灰皿を粉々に壊した。
本件では、甲は乙の灰皿を窃取しようとして、乙宅内で灰皿を手にしているので、窃盗の着手が認められる。
そして、逮捕を免れるために、大きな硬い灰皿で人体の枢要部である頭部を殴ったのだから、反抗抑圧程度の強い暴行をしているといえ、事後強盗罪を問擬すべきである。
刑法238条にいう「窃盗」とは、窃盗罪の実行に着手したものである(大塚各論P221、反対説:西田各論P175)から、本件で甲は窃盗について未遂であるが、事後強盗罪の既遂となる。
そこで、本件の場合に、器物損壊罪が成立するか、本件灰皿については既に先行する事後強盗罪の成立によって法益侵害が評価され尽くしており、共罰的事後行為となるのではないかが問題となる。
この点、窃盗罪に続く毀棄罪が成立しないとされるのは、窃盗罪が状態犯であり、法益侵害の状態事態については窃盗罪において評価がされているからである。
したがって、窃盗罪の事後の毀棄行為が共罰的事後行為にあたり、処罰されないのは先行する窃盗罪が既遂に達している場合に限ると解すべきである。
本件では、先行する事後強盗罪においてその構成要件に含まれる窃盗罪は未遂にとどまり、本件灰皿に関する法益侵害状態は継続しているとはいいがたい。
よって、本件の場合、先行する事後強盗罪において本件灰皿についての法益侵害は毀棄行為によって新たに侵害されているといえるから、器物損壊罪は別途成立すると解すべきである。
〔事例〕の場合は、事後強盗罪の窃盗が未遂を含むか否か、という問題がある(窃盗が未遂でも構わない、とする学説は、事後強盗を「窃盗犯人が逃亡する際に、暴行・脅迫を加えることが多いという刑事学的実態に着目して、人身保護の観点から」強盗と同じく処断するとしており、そうだとすると窃盗が既遂であろうと未遂であろうと人身保護の観点からは、暴行・脅迫の時点を既遂時期とみるべきであるとする。大谷各論P236)が、今回それはおくとして、窃盗が未遂にとどまる場合は事後の毀棄行為について評価されていないという事案を考えてみた。
なお、これ以外の場合でも共罰的事後行為とならない場合については、
事後行為が新たな法益侵害を伴う場合(本件も被るところ)
同一の法益に向けられた複数の行為であっても、目的・手段、原因・結果というひとつの意思決定に準じた関係にないので、責任減少を肯定できない場合
があるとされている。
なんにつけても、①窃盗②器物損壊ときたら、②は不可罰(共罰)的事後行為だという思考過程は危険である。
参考文献:本文中に挙げたもののほか、井田良「講義刑法学・総論」525ページ以下、山口厚「刑法総論」316ページ以下
2011年10月17日月曜日
法定承継取得説と順次取得説についてのメモランダム
今日は民法94条2項について。
民法は、当事者間で効果意思と表示とが合致(以下「意思の合致」という。)したときに、契約を成立させる。
これらの意思の合致について、総則的に規定したのが意思表示についての規定である。
民法では、93条以下に規定がある。
外見上意思の合致があるように見えても、法律上保護に値しない場合があり、これらは契約成立における意思表示の決まりでは、例外的な場合であるといえる。
そこで、意思表示の規定の中でも典型的でかつ、基本的である94条について検討しよう。
〔事例〕
Aは、事業に失敗し多額の負債を抱えてしまった。Aのもとには、既に現金や預金債権などはなく、財産といえるものは先祖代々受け継いでいる地元の不動産(甲山)しかなかった。
甲山は、A一族の守り神として古くから大事にされてきたものであり、Aとしてもこれを手放すわけにはいかなかった。
しかし、Aの債権者Gは、甲山を差押え、換価することによって自己の債権を満足させようと考えている。
そこで、高校時代からの友人Bに相談し、Aは登記簿上売買を原因としてBに甲山を売り渡すこととし、Bの了承を得た上で移転登記をなした。
ところが、Bは前述の事情について全く知らないCに甲山を売り渡し、代金と引換に移転登記してしまった。
Aは、甲山の登記が見ず知らずのCに移転されていることを知り、C名義の登記を元に戻すように請求したい。
Aの請求は認められるか。
Cは何を主張できるか。
ここで、問題となるのが、民法94条である。
AはBとの間で、登記を移転することについて合意している。
しかし、Aには真実甲山を売却する意図はなく、ただ、執行を逃れるために責任財産を見かけ上Bに移転したいと考えただけである。
そうだとすると、甲山を売却するという法的意思(効果意思)はAにはなく、甲山を売却するという表示行為と合致しないため、このような意思表示は契約を成立させないということになるのが原則である。
ここまでを確認したのが、94条1項である。
〔民法94条1項〕
相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
しかし、本件で、Cが保護されないとすれば、Bの下に登記名義があることを確認し、Bとの間でお金を払って甲山を手に入れたCがかわいそうである。
そこで、94条2項は、「善意の第三者」にはこのような虚偽の意思表示の無効は主張できないと規定している。
〔民法94条2項〕
前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。
ここで、善意の第三者とは何か、とか、保護されるためには無過失が必要なのではないか、といった問題があるのだが、今回は表題と離れるのでいちいち記述しない。
さて、AがCに対して裁判を起こしたとして、請求原因(Kg)は、
Kg
1.A所有
2.C名義の登記
ということになる。
これに対して、Cは所有権喪失の抗弁(E)を主張することになる。
E
1.AB間売買
ということになる。
そして、Aは再抗弁(R)として、AB間の売買は虚偽表示なのだから、94条1項に基づき無効だと主張することになる。
R
1.AB虚偽表示
2.1につきAB合意
となる。
ここで、Cが94条2項によって保護される「善意の第三者」であるとして、この主張は再々抗弁(D)なのか、予備的抗弁(E’)なのかという問題が生じる。
まず、抗弁の機能から検討しよう。
抗弁とは、「原告の主張する請求原因を認めることを前提として、又は請求原因を否認若しくは不知と認否した上でその事実が証拠上認められることを前提として、請求原因が存在することによる法律効果の発生の障害となり、権利を消滅させ、又は権利の行使を阻止する事実」の主張だといわれている(問題研究 要件事実P23)。
しかし、これでは抗弁が「請求原因と要件事実レベルで両立する反論だ。」くらいにしかわからない。
そこで、私がわかりやすいと思ったのは、「抗弁は対象となる相手方の主張の法律効果を覆滅する権利障害、権利阻止、権利消滅事実の主張である。」という説明である。
このように理解すると、再々抗弁と予備的抗弁との違いが分かる。
つまり、そのような抗弁を主張し、容れられたとき、その効果として、相手方の請求原因の前提を覆すのか、それとも再抗弁を覆すのかという判断である。
本件で言うと、Cが94条2項の善意の第三者であることを主張し、裁判所に主張が容れられたら、KgのA所有が否定されるのか、それともRの虚偽表示と合意とが否定され、EのAB売買の事実は残るのかということになる。
この点、94条2項の第三者の主張が予備的抗弁と考える説は、94条2項の第三者と虚偽表示によって自己に権利があると主張するものとの間に法定の承継取得が成り立つと説明する。
判例は、この説を採っていると言われる(最判昭42・10・31)。
これを法定承継取得説と呼んでいて、本件の場合のはAから直接Cへ所有権が移転すると説明するのである。
つまり、AからCへ所有権が移転したと考えるのだから、これが認められると、Aの所有権を否定する所有権喪失の抗弁となる。
したがって、Aの再抗弁を否定する再々抗弁ではなく、請求原因を否定するから抗弁となり、CとしてはAB間売買の所有権喪失の抗弁(E)が認められなかった場合に備えて主張する予備的抗弁(E’)ということになるのである。
これに対して、再々抗弁説は、善意の第三者と主張するとしても、あくまでAB間の譲渡を前提としてABCと順次に所有権は移転したのだと説明する。
これを順次取得説という。
この説は、無権利者からは権利の移転ができない以上、当然Bに所有権が移転していることを前提としてABCと権利は移転したのだと主張する。
よって、AB間の売買を前提として、AB間売買が虚偽表示で無効であるとのAの再抗弁(R)を否定するのだから、再々抗弁(D)にあたるのだということになる。
さて、予備的抗弁説(法定承継取得説)からは、再々抗弁説(順次取得説)に対しては、善意の第三者の主張によりなぜ、虚偽表示無効が障害され、従前の譲渡が復活するか論拠が不明であるとの批判がある。
つまり、明文で虚偽表示は無効としているのだから、AB間の虚偽表示による売買がCの登場で解釈により無効ではなくなるとするのは簡単に明文規定の例外を作り許されないとの批判である。
以上、ざっくりとまとめた。
なお、法定承継取得説によると、本件ではAB、AC間で二重譲渡類似の関係となり、BCは対抗関係に立つ。
順次取得説によるとABCはそれぞれ前主後主の関係になるので、BCは対抗関係にはない。
参考文献:岡口基一「要件事実マニュアル1」、法曹会「問題研究 要件事実」、法曹会「紛争類型別の要件事実」
民法は、当事者間で効果意思と表示とが合致(以下「意思の合致」という。)したときに、契約を成立させる。
これらの意思の合致について、総則的に規定したのが意思表示についての規定である。
民法では、93条以下に規定がある。
外見上意思の合致があるように見えても、法律上保護に値しない場合があり、これらは契約成立における意思表示の決まりでは、例外的な場合であるといえる。
そこで、意思表示の規定の中でも典型的でかつ、基本的である94条について検討しよう。
〔事例〕
Aは、事業に失敗し多額の負債を抱えてしまった。Aのもとには、既に現金や預金債権などはなく、財産といえるものは先祖代々受け継いでいる地元の不動産(甲山)しかなかった。
甲山は、A一族の守り神として古くから大事にされてきたものであり、Aとしてもこれを手放すわけにはいかなかった。
しかし、Aの債権者Gは、甲山を差押え、換価することによって自己の債権を満足させようと考えている。
そこで、高校時代からの友人Bに相談し、Aは登記簿上売買を原因としてBに甲山を売り渡すこととし、Bの了承を得た上で移転登記をなした。
ところが、Bは前述の事情について全く知らないCに甲山を売り渡し、代金と引換に移転登記してしまった。
Aは、甲山の登記が見ず知らずのCに移転されていることを知り、C名義の登記を元に戻すように請求したい。
Aの請求は認められるか。
Cは何を主張できるか。
ここで、問題となるのが、民法94条である。
AはBとの間で、登記を移転することについて合意している。
しかし、Aには真実甲山を売却する意図はなく、ただ、執行を逃れるために責任財産を見かけ上Bに移転したいと考えただけである。
そうだとすると、甲山を売却するという法的意思(効果意思)はAにはなく、甲山を売却するという表示行為と合致しないため、このような意思表示は契約を成立させないということになるのが原則である。
ここまでを確認したのが、94条1項である。
〔民法94条1項〕
相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
しかし、本件で、Cが保護されないとすれば、Bの下に登記名義があることを確認し、Bとの間でお金を払って甲山を手に入れたCがかわいそうである。
そこで、94条2項は、「善意の第三者」にはこのような虚偽の意思表示の無効は主張できないと規定している。
〔民法94条2項〕
前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。
ここで、善意の第三者とは何か、とか、保護されるためには無過失が必要なのではないか、といった問題があるのだが、今回は表題と離れるのでいちいち記述しない。
さて、AがCに対して裁判を起こしたとして、請求原因(Kg)は、
Kg
1.A所有
2.C名義の登記
ということになる。
これに対して、Cは所有権喪失の抗弁(E)を主張することになる。
E
1.AB間売買
ということになる。
そして、Aは再抗弁(R)として、AB間の売買は虚偽表示なのだから、94条1項に基づき無効だと主張することになる。
R
1.AB虚偽表示
2.1につきAB合意
となる。
ここで、Cが94条2項によって保護される「善意の第三者」であるとして、この主張は再々抗弁(D)なのか、予備的抗弁(E’)なのかという問題が生じる。
まず、抗弁の機能から検討しよう。
抗弁とは、「原告の主張する請求原因を認めることを前提として、又は請求原因を否認若しくは不知と認否した上でその事実が証拠上認められることを前提として、請求原因が存在することによる法律効果の発生の障害となり、権利を消滅させ、又は権利の行使を阻止する事実」の主張だといわれている(問題研究 要件事実P23)。
しかし、これでは抗弁が「請求原因と要件事実レベルで両立する反論だ。」くらいにしかわからない。
そこで、私がわかりやすいと思ったのは、「抗弁は対象となる相手方の主張の法律効果を覆滅する権利障害、権利阻止、権利消滅事実の主張である。」という説明である。
このように理解すると、再々抗弁と予備的抗弁との違いが分かる。
つまり、そのような抗弁を主張し、容れられたとき、その効果として、相手方の請求原因の前提を覆すのか、それとも再抗弁を覆すのかという判断である。
本件で言うと、Cが94条2項の善意の第三者であることを主張し、裁判所に主張が容れられたら、KgのA所有が否定されるのか、それともRの虚偽表示と合意とが否定され、EのAB売買の事実は残るのかということになる。
この点、94条2項の第三者の主張が予備的抗弁と考える説は、94条2項の第三者と虚偽表示によって自己に権利があると主張するものとの間に法定の承継取得が成り立つと説明する。
判例は、この説を採っていると言われる(最判昭42・10・31)。
これを法定承継取得説と呼んでいて、本件の場合のはAから直接Cへ所有権が移転すると説明するのである。
つまり、AからCへ所有権が移転したと考えるのだから、これが認められると、Aの所有権を否定する所有権喪失の抗弁となる。
したがって、Aの再抗弁を否定する再々抗弁ではなく、請求原因を否定するから抗弁となり、CとしてはAB間売買の所有権喪失の抗弁(E)が認められなかった場合に備えて主張する予備的抗弁(E’)ということになるのである。
これに対して、再々抗弁説は、善意の第三者と主張するとしても、あくまでAB間の譲渡を前提としてABCと順次に所有権は移転したのだと説明する。
これを順次取得説という。
この説は、無権利者からは権利の移転ができない以上、当然Bに所有権が移転していることを前提としてABCと権利は移転したのだと主張する。
よって、AB間の売買を前提として、AB間売買が虚偽表示で無効であるとのAの再抗弁(R)を否定するのだから、再々抗弁(D)にあたるのだということになる。
さて、予備的抗弁説(法定承継取得説)からは、再々抗弁説(順次取得説)に対しては、善意の第三者の主張によりなぜ、虚偽表示無効が障害され、従前の譲渡が復活するか論拠が不明であるとの批判がある。
つまり、明文で虚偽表示は無効としているのだから、AB間の虚偽表示による売買がCの登場で解釈により無効ではなくなるとするのは簡単に明文規定の例外を作り許されないとの批判である。
以上、ざっくりとまとめた。
なお、法定承継取得説によると、本件ではAB、AC間で二重譲渡類似の関係となり、BCは対抗関係に立つ。
順次取得説によるとABCはそれぞれ前主後主の関係になるので、BCは対抗関係にはない。
参考文献:岡口基一「要件事実マニュアル1」、法曹会「問題研究 要件事実」、法曹会「紛争類型別の要件事実」
2011年10月16日日曜日
学修計画
昨年までの反省を生かし、私は論文で人と同じことが書けるようにすることに力をいれることにした。
なぜなら、司法試験において求められるのはみんなと同じように書き、同じように解決する力であるからだ。
もちろん、これはやや強引ではある。
ここでいう「みんな」というのは合格レベルのロースクール生である。
つまり、2年ないし3年みっちり法律の基礎を学び、基本判例や基本学説についての知識が十分に備わっていることを基準にしている。
長い時間をかけてまだ合格できない人は、きっと勉強ができないのではなく、普通に書くということから離れているから合格できないのではないかとおもっている。
まだ、結果を出していない段階でこのようなことを言うのは、少し横柄を捌いているきらいがあるが、個人の意見として聞いていただきたい。
そこで、予備校の論文答練のパックを申し込んで、提出したものとは別に、解説をもとに何度か(3回くらい)同一の事案を起案して知識と表現とをブラッシュアップする練習をすることにした。
ここで、もう一つのポイントである予備校の存在が問題になる。
法科大学院教育においては司法試験予備校の存在が極めてマイナスに語られることが多い。
それは、論証をパターン化して事案の検討をせずに切って張っただけの論文が目立つようになったことへの危機感なのだが、これを盲信してしまうと危ない。
経験から言わせてもらうと、司法試験予備校の模擬試験や答案練習会で好成績をコンスタントに修められる人はやはり司法試験でも上位で合格していることが多い。
もちろん、これには例外もあるのだが、あくまで例外にとどまる程度の数しかない。
やはり、出題意図に沿った論証をして、書くべきことに適切に触れられている論文は評価が高いのである。
これらの認識に基づいて、私は予備校の答練を積極的に活用することにした。
なぜなら、司法試験において求められるのはみんなと同じように書き、同じように解決する力であるからだ。
もちろん、これはやや強引ではある。
ここでいう「みんな」というのは合格レベルのロースクール生である。
つまり、2年ないし3年みっちり法律の基礎を学び、基本判例や基本学説についての知識が十分に備わっていることを基準にしている。
長い時間をかけてまだ合格できない人は、きっと勉強ができないのではなく、普通に書くということから離れているから合格できないのではないかとおもっている。
まだ、結果を出していない段階でこのようなことを言うのは、少し横柄を捌いているきらいがあるが、個人の意見として聞いていただきたい。
そこで、予備校の論文答練のパックを申し込んで、提出したものとは別に、解説をもとに何度か(3回くらい)同一の事案を起案して知識と表現とをブラッシュアップする練習をすることにした。
ここで、もう一つのポイントである予備校の存在が問題になる。
法科大学院教育においては司法試験予備校の存在が極めてマイナスに語られることが多い。
それは、論証をパターン化して事案の検討をせずに切って張っただけの論文が目立つようになったことへの危機感なのだが、これを盲信してしまうと危ない。
経験から言わせてもらうと、司法試験予備校の模擬試験や答案練習会で好成績をコンスタントに修められる人はやはり司法試験でも上位で合格していることが多い。
もちろん、これには例外もあるのだが、あくまで例外にとどまる程度の数しかない。
やはり、出題意図に沿った論証をして、書くべきことに適切に触れられている論文は評価が高いのである。
これらの認識に基づいて、私は予備校の答練を積極的に活用することにした。
2011年10月9日日曜日
三段階審査論についてのメモランダム
私が、司法試験の勉強を開始した当時、憲法において主流となっていた論理は芦部信喜著「憲法」に支えられていた。
もちろん、現在も芦部先生が憲法学会に与えた影響は大きい。
これは、私のようなものが言うようなことではない。
そして、芦部先生の憲法論の中で、司法試験受験生に最も重視されたのが、法令違憲の判断課程で行われるいわゆる「審査基準論」であった。
その内容は、法令の違憲を論じる際に
侵害される人権の性質について検討をした上で、その性質に応じて当該法令の目的と、規制手段を確認し、当該制限が許されるかを検討するものであった。
このような思考過程は、旧司法試験において唯一無二の絶対的なフォーミュラとして「劣化コピー」を繰り返され、人権制限において十分な個別具体的検討がされない思考停止状態がまん延したと批判されている。
当然、このような批判は芦部先生自体に向けられたのではなく、これを論理の背景にある考えとは別に類型的・定型的に採用した司法試験受験生に向けられたものだといえる。
さて、ここから三段階審査の話であるが、
ドイツでは違憲審査基準として三段階審査と称される一定の審査過程がある(らしい)。
具体的には、
違憲性が問題となる場面において
1.いかなる権利制限が問題となるかを検討し、その内容として
(1)権利の保護領域に対して(第1段階)
(2)当該措置が制限しているといえるか(第2段階)
2.次に制限を正当化するための要件は認められるかを検討する(第3段階)。具体的には
(1)形式的な要件を充たすか(法的根拠はあるのか・明確性の原則等)
(2)実質的な要件を充たすか(比例原則等)
を審査することによって検討するという思考である。
なお、2.に関して言えば、(2)の実質的要件において、比例原則のみを問題視するという記述も散見されるところである。
比例原則については、①手続の適合性②手段の必要性③均衡性の三種を審査することによって、比例原則違反があるか否かを判定するようである。
私にとって、三段階審査論で最も分かりにくかったのが、三段階審査が適さない分野があるという指摘である。
すなわち、保護領域―制限―正当化の図式にあわないものについては、そもそも三段階審査の射程ではないとされ、具体例として生存権や選挙制度の合憲性が挙げられているのであるが、これが一見普遍的に見える三段階審査になぜ適さないのかが分からなかった。
つまり、せっかくいい武器を手に入れても、この武器を使うことが禁忌とされる場合を知らなければ、この武器を使うことをためらってしまう。
「保護領域―制限…の図式にあわない」とは、ある権利が「憲法上」保護されること原則とし、これを制限する事態があくまで例外的であるという場合にワークするという考えがどうも背景にあるようである。
すなわち、生存権のように抽象的権利として保護される人権については、法律による保護規定があって初めて具体的に保護されるのであって、特定の場合に、それが保護領域にあるか否か検討する際に憲法のみで判断できず、違憲性が問題となる法令の内容を検討し、その法令が意見か検討するという奇異な判断が必要となるので、三段階審査に適さないということのようだ。
選挙制度についても、選挙権が人権として認められるのは当然としても、どのような具体的な選挙制度をとるかについては、時の立法府の広範な裁量に服するのであってメタな論理としてのあるべき選挙制度については論じようがない。
したがって、これも「保護領域―制限」という原則例外の過程にのらず、三段階審査に適さないということになる。
以上が、今の時点での私なりの理解である。
なお、参考としたものに「審査基準論と三段階審査」小山剛・ロースクール研究2009年11月号122ページ以下がある。
もちろん、現在も芦部先生が憲法学会に与えた影響は大きい。
これは、私のようなものが言うようなことではない。
そして、芦部先生の憲法論の中で、司法試験受験生に最も重視されたのが、法令違憲の判断課程で行われるいわゆる「審査基準論」であった。
その内容は、法令の違憲を論じる際に
侵害される人権の性質について検討をした上で、その性質に応じて当該法令の目的と、規制手段を確認し、当該制限が許されるかを検討するものであった。
このような思考過程は、旧司法試験において唯一無二の絶対的なフォーミュラとして「劣化コピー」を繰り返され、人権制限において十分な個別具体的検討がされない思考停止状態がまん延したと批判されている。
当然、このような批判は芦部先生自体に向けられたのではなく、これを論理の背景にある考えとは別に類型的・定型的に採用した司法試験受験生に向けられたものだといえる。
さて、ここから三段階審査の話であるが、
ドイツでは違憲審査基準として三段階審査と称される一定の審査過程がある(らしい)。
具体的には、
違憲性が問題となる場面において
1.いかなる権利制限が問題となるかを検討し、その内容として
(1)権利の保護領域に対して(第1段階)
(2)当該措置が制限しているといえるか(第2段階)
2.次に制限を正当化するための要件は認められるかを検討する(第3段階)。具体的には
(1)形式的な要件を充たすか(法的根拠はあるのか・明確性の原則等)
(2)実質的な要件を充たすか(比例原則等)
を審査することによって検討するという思考である。
なお、2.に関して言えば、(2)の実質的要件において、比例原則のみを問題視するという記述も散見されるところである。
比例原則については、①手続の適合性②手段の必要性③均衡性の三種を審査することによって、比例原則違反があるか否かを判定するようである。
私にとって、三段階審査論で最も分かりにくかったのが、三段階審査が適さない分野があるという指摘である。
すなわち、保護領域―制限―正当化の図式にあわないものについては、そもそも三段階審査の射程ではないとされ、具体例として生存権や選挙制度の合憲性が挙げられているのであるが、これが一見普遍的に見える三段階審査になぜ適さないのかが分からなかった。
つまり、せっかくいい武器を手に入れても、この武器を使うことが禁忌とされる場合を知らなければ、この武器を使うことをためらってしまう。
「保護領域―制限…の図式にあわない」とは、ある権利が「憲法上」保護されること原則とし、これを制限する事態があくまで例外的であるという場合にワークするという考えがどうも背景にあるようである。
すなわち、生存権のように抽象的権利として保護される人権については、法律による保護規定があって初めて具体的に保護されるのであって、特定の場合に、それが保護領域にあるか否か検討する際に憲法のみで判断できず、違憲性が問題となる法令の内容を検討し、その法令が意見か検討するという奇異な判断が必要となるので、三段階審査に適さないということのようだ。
選挙制度についても、選挙権が人権として認められるのは当然としても、どのような具体的な選挙制度をとるかについては、時の立法府の広範な裁量に服するのであってメタな論理としてのあるべき選挙制度については論じようがない。
したがって、これも「保護領域―制限」という原則例外の過程にのらず、三段階審査に適さないということになる。
以上が、今の時点での私なりの理解である。
なお、参考としたものに「審査基準論と三段階審査」小山剛・ロースクール研究2009年11月号122ページ以下がある。
登録:
投稿 (Atom)